春の青春切符第2弾 敦賀散歩          2007.4.5

行程表
往路 芦屋発JR東海道本線新快速9時⇒敦賀着11時14分
復路 敦賀発JR北陸本線新快速16時23分 網干行き⇒芦屋着18時43分


敦賀駅⇒レンタル自転車⇒気比神社⇒ヨーロッパ軒(昼食)⇒みなとつるが山車⇒旧敦賀港駅舎⇒金ケ崎城跡⇒相木魚問屋⇒気比の松原⇒敦賀駅

レンタル自転車

書類に住所・名前・電話等を書き込み
一台に付き1000円の保証金を支払う

返却時に、時間により返金を受ける

気比 神社
                         大宝2(702)年の建立と伝えられています。7柱のご祭神をまつる北陸道の総鎮守。
                         明治に官幣大社となりました。
                         
高さ11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つ。
                         元禄2年8月には松尾芭蕉が訪れ、境内には松尾芭蕉の像と句碑があります。

 

松尾 芭蕉の句碑
月清し遊行のもてる砂の上

気比神社造営中に突然水場が湧き出した
「長命水」と呼ばれている(水は亀の口ら出ています)
金ケ崎宮

恋の宮と言われ
恋愛祈願 縁結びの
祈願に大勢の人がお参りします


花換えまつり
4月には、入り口で花飾りを買い求め
多くの人で交換すると言う
人との出会いを
大切にするお祭です


普段は、(左の写真)入り口で花飾りを買い
少し歩いた所の
右の写真の場所で  
(この場所では花飾りは換えません)
持ってきた花飾りを
交換してもらいます
金ケ城跡崎
1573(天正元)年一豊公28歳の時に織田信長が越前朝倉氏を倒すため、
豊臣(当時木下)秀吉徳川家康らとともに敦賀に入った朝倉攻め。
一豊公が顔に矢を受けながら、朝倉方の武将 三段崎勘右衛門(みたざきかんえもん)を
討ち取った。金ケ崎の戦いは、「秀吉のしんがり」の舞台である。
金ケ崎城の落城後、信長の妹婿だった北近江の小谷城主浅井長政が
反旗を翻し朝倉氏と連携して織田勢に対抗。
信長は急きょ京都に退却したが、秀吉はしんがりを志願して金ケ崎城に残り、
撤退を成功させた
月見 御殿
月見をしたであろう絶景の場所に
時代は変わり
材料を山から切り出し
アスファルトの原料を作る工場がありました
気比の松原
笙ノ川から西の海岸一帯に広がる白砂青松の海岸。
一般に松原公園と呼ばれる。
白砂の背後に密生する広大な松林と
美しい海岸線は景勝地として有名


みなとつるが山車会館
開館時間・・・・午前10時から午後5時まで
スクリーンシアター上映時間(約15分)・・・1階
       
休館日・・・・月曜日
         9月 1日から5日
        12月28日から1月3日
入館料・・・・大人 300円 小・中学生 150円
展示場は、2階と別館
     (山車は、シァター上映の時には2階から見ることが出来ます)

子供用室内山車
有力な商人たちは子供達の曳く山車のミニチュァを敦賀の
山車を忠実に模して作りました
水引幕

右の水引幕はその時代の人が
ライオンを想像して作りました。
当時は資料になる何物も無く
想像だけで製作したので
興味深く拝見しました
どの水引き幕もとても立派で
とても手の込んだ細工でした。
今の時代では
作るのが難しいのではないかと
館のスタッフは
言っていました
牛重量秤

朝鮮半島の移入牛の計量に使われた
珍しい秤ですね
大国町神輿
明治32年に製作される
明治36年に大国町は大火に見舞われるが
この神輿は無事でした。
明治32年の行政区画大国町はなくなりましたので
平成9年の渡御を最後に市に寄贈され大黒の名を残しました
相木魚問屋
「越前かにの名付親」
、「越前かに」を全国一のカニのブランドとして育てあげた
福井県敦賀市蓬莱町16-11 敦賀魚市場前
TEL 0770-22-0645

私達はキスの一夜干
カレイの一夜干を買い求めました
時間が早いと色々な魚を
見ることが出来たようです
残念!!


敦賀港湾事務所(港町)2階展示室の展示品
杉原 千畝
生涯
1900年 八百津で生まれる
1923〜1940年 外交官として希望ある一歩を踏み出す
1940年 7月ユダヤ難民への日本通関ビザの大量発給うを始め
8月26日までに
計2139家族日本通関ビザを出す
1945年 プカレスト郊外の捕虜集要所に収監される
1947年 4月に帰国(九州博多)
6月に外務省を退官
1968年 ビザ発給で助かったニシュリ氏と28年ぶりに再会する
(下記・・家族の写真と当時発給されたビザ)
1985年 イスラエル「諸国民の中の正義の人賞」を受賞
日本人では最初
1986年 神奈川県鎌倉にて死亡(86才)

歴史
欧亜国際連絡列車
明治35年に敦賀からウラジオストク間の著説航路が開かれ、1912年(明治45年)には
新橋から敦賀港駅直通の(欧亜国際連絡列車)が運転を開始。
1916年(大正5年)に全通したスベリア鉄道経由による欧州の最短路として脚光を浴びた

大正12年(1923年)運転休止
昭和2年(1927年)再開
生は15年(1940年)廃止

今回敦賀に青春切符で行って杉原 千畝の生き方を知り大変感銘を受けました。
記念館が岐阜県にあるのでぜひ一度訪れてみたいと思っています

杉原 幸子著(夫人)

● 決断 命のビザ
 ●六千人の命のビザ

 歌集・・・ 白夜




杉原 千畝記念館

ヨーロッパ軒
  
ソースカツ丼(840円)

私達はヨーロッパ軒の本店に行きました
● 相生町2−7
22-1468
●営業時間
11:00〜20:00

注文はしたものの“どんなカツ丼かな?”と楽しみに待つ
なんと丼の上に
3枚ものカツが
ソースをからめて乗っていました
ご飯は、大盛・・・!どうしょう
食べきれないわ状態!!!
満腹満腹
ご飯には、特性のタレが、かけてありました

お店は、5店舗あります